取引先のご兄弟に新潟が産んだ最高傑作果実“ル・レクチェ”の最高技術者と賞賛を受ける方がいらっしゃると以前から聞いていた。富山湾の“世界のオンリー湾”繋がりではないが、私達も当然イタリア料理業界において“オンリーワン Siamo gli unici”を目指している。

右岸には信濃川がうねり、その脇一面に梨畑が延々と広がっていた。ここはまさに“梨の国 白根”!
お会いしたのは“梨園 佐久間”の佐久間 勉氏。取引先の弟さんそっくりである・・・。

温和な人柄が表情に溢れ、自称『いたずら異端児』と語る。28歳から和梨農家を手伝い始め、当時は出稼ぎも。近隣の農家では果実面積を減らし、稲作面積を増やす頃、佐久間さんは“生涯魂を注ぐもの”に出会う。それが西洋梨“ル・レクチェ”である。だが、その梨は『営利栽培不可能』とまで言われ、誰もが仕事として向き合う事はしなかった品種だった。
佐久間さんは『いたずら異端児』である。人と同じことを好まぬ性格ゆえ、その極めて困難な“ル・レクチェ”栽培に可能性をかけた。当然、両親家族の猛反対をこうむる。ここから“ル・レクチェ”物語が始まる。
「1枚の田んぼを残し、万が一があったらその田んぼを・・・」父上の協力、家族の理解で佐久間家の新たなる歴史がスタートした。
もともとあった和梨の樹に“ル・レクチェ”の苗樹を接木、10メートル先には日本一の大河“信濃川”。河川敷土壌から、もともとの樹の根が地中深く、まっすぐ伸び、真夏の日照りが続いても土と砂の入り混じった肥沃な土壌は、豊富な水分を蓄え、常にその樹を潤した。
それから10年の歳月が“ル・レクチェ”に注ぎ込まれ、初の出荷にこぎつく。
佐久間さんは“商品戦略”を練った。農協にただ売るのは嫌だ・・・。
『日本で一番の東京市場(当時は神田)でトップを取る!』
そして、その夢は実現。瞬く間に一流百貨店、果実店、企業からの引き合いが殺到!
佐久間さん40歳の時だった。『男40にして立つ!』まさにその時だった。

そして、全国からの需要が佐久間さんに求められた。近隣農家に指導を行ない“ル・レクチェ”の作付けを増やしながら、その需要に応えた。
(2007.04.25 ル・レクチェ)

“ル・レクチェ”は新潟産高級果実としてのブランドを得た。その中でも佐久間ブランドの“ル・レクチェ”は贈答用最高級品一玉1,000円。その上品な形、甘味と香り、とろけるような果肉は他と比べ物にならない。
“梨園 佐久間”には次に世に送り出す“幻の洋梨”が今育つ。自称『いたずら異端児』の伝説物語はまだまだ続く・・・。

佐久間さん所有のスーパーカー!?いやいやこれはスピードスプレーヤー(散布機)通称SSマシーン。
